体調不良による退職者に対する使用者の不当な損害賠償請求を撤回させた事例
- 2025.09.05
- 2025.09.05
実行日 | 2025年9月 |
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組合員 | Bさん |
年齢 | 30代 |
地域 | 千葉県 |
職種 | 事務職 |
雇用形態 | 正社員 |
トラブル種別 | 不当な損害賠償請求 |
Bさんは、勤務中から強い精神的ストレスを抱えており、医療機関を受診したところ「適応障害・抑うつ状態」との診断を受けた。医師からは就労継続が困難である旨の指導を受け、やむを得ず退職の意思を会社に伝えた。
しかしながら、退職の意思表示後、会社からBさんに対し「無断欠勤および職務放棄による損害」として、約153万円に及ぶ損害賠償請求書が送付された。
請求内容には以下の項目が含まれていた。
・社宅関連費用
・求人広告費
・後任者採用費用
・その他、業務引継ぎ未実施に伴う損害
また、請求書には「就業規則において、自己都合退職は3ヶ月前に申し出ることとされており、これに違反した」との記載もなされていた。
Bさは、体調不良により退職を余儀なくされたにもかかわらず、高額な損害賠償を請求されたことに強い不安と精神的苦痛を感じ、当組合に相談を寄せられた。
2. 問題点の法的整理
当組合は顧問弁護士と協議の上、本件について以下の法的問題点を確認した。
(1)損害賠償請求の要件を欠く
民法第709条(不法行為)または民法第415条(債務不履行)に基づく損害賠償請求が認められるためには、①債務不履行または違法行為の存在、②損害の発生、③因果関係、④過失または故意、の各要件を満たす必要がある。
本件において会社が主張する「社宅関連費用」「求人広告費」「後任者採用費用」等は、いずれもBさんの退職との間に相当因果関係を欠くものであり、損害賠償請求の対象とはなり得ない。また、Bさんは医師の診断に基づき退職を決断しており、故意または過失による債務不履行とは認められない。
(2)退職の自由の制約(民法第627条違反)
会社は「就業規則において自己都合退職は3ヶ月前に申し出ること」との規定を根拠に主張していたが、民法第627条第1項は、期間の定めのない労働契約については、労働者はいつでも退職の意思表示をすることができ、原則として2週間の経過により雇用契約が終了すると定めている。
就業規則において3ヶ月前の予告期間を設けることは、民法第627条の強行規定に反し、無効である。
(3)精神疾患を抱える労働者に対する配慮義務違反
労働契約法第5条は、使用者に対し労働者の安全配慮義務を課しており、精神疾患を抱える労働者に対しては、その健康状態に配慮した対応が求められる。会社が、適応障害・抑うつ状態との診断を受けた労働者に対し、高額な損害賠償請求を行うことは、労働者の精神的健康をさらに悪化させる行為であり、配慮義務に反する。
(4)未払賃金の存在
Bさんには未払賃金が存在しており、労働基準法第24条(賃金全額払いの原則)に違反する状態が継続していた。
3. 組合の対応
当組合は、組合員であるBさんの権利擁護および精神的負担の軽減を目的として、以下の対応を行った。
(1)法的根拠に基づく反論書面の送付
顧問弁護士と協議の上、会社(会社代理人弁護士宛)に対し、以下の内容を記載した反論書面を送付した。
①損害賠償請求の法的根拠の欠如
・会社が主張する各費用項目が、Bさんの退職との間に相当因果関係を欠くこと
・Bさんは医師の診断に基づき退職を決断しており、故意または過失による債務不履行には該当しないこと
・したがって、損害賠償請求は法的根拠を欠き、無効であること
②退職予告期間に関する規定の無効性
・就業規則における「3ヶ月前の予告」との規定は、民法第627条の強行規定に反し無効であること
・Bさんの退職意思表示は民法に基づき有効であること
③精神疾患を抱える労働者に対する配慮義務違反
・Bさんが適応障害・抑うつ状態との診断を受けていることを指摘
・高額な損害賠償請求が、労働者の精神的健康をさらに悪化させる行為であり、労働契約法第5条の安全配慮義務に反すること
④損害賠償請求への応諾拒否の通知
・組合員であるBさんは、法的根拠を欠く損害賠償請求には一切応じる意思がないこと
(2)組合員への助言および精神的支援
Bさんに対し、以下の助言および支援を行った。
・会社からの損害賠償請求には法的根拠がなく、応じる必要がないことを明確に説明
・未払賃金については、労働基準監督署への申告(労働基準法第104条)を行うことを助言
・精神的負担を軽減するため、継続的な相談対応を実施
(3)労働基準監督署との連携
Bさんの未払賃金問題について、労働基準監督署への申告を支援し、労働基準法違反の是正を求めた。
4. 結果および成果
当組合の対応により、以下の成果を得ることができた。
(1)未払賃金の支払い
労働基準監督署への申告後、監督署から会社に対し是正勧告が行われ、未払賃金は全額支払われた。
(2)損害賠償請求の事実上の撤回
当組合からの反論書面送付後、会社側からは損害賠償請求に関する追加の連絡はなく、訴訟提起も行われなかった。これにより、損害賠償請求は事実上撤回されたものと判断される。
(3)組合員の精神的安定の回復
Bさんは、法的根拠に基づく支援により精神的な安心を取り戻し、治療に専念できる環境を確保することができた。
5. 組合としての総括
本事案は、精神疾患により退職を余儀なくされた労働者に対し、使用者が法的根拠を欠く高額な損害賠償請求を行った極めて悪質な事例である。
労働者が体調不良により退職する場合、民法第627条に基づき退職の自由が保障されており、使用者が一方的に損害賠償を請求することは原則として認められない。ましてや、医師の診断に基づく退職に対し、求人広告費や後任者採用費等を請求することは、法的根拠を全く欠くものである。
当組合は、顧問弁護士との連携により法的根拠を明確に示し、労働基準監督署との協力により未払賃金の支払いを実現するなど、法的・精神的両面から組合員を支援することができた。
今後も、心身に不調を抱える労働者が不当な圧力や請求に晒されることのないよう、法的知見に基づく対応と公的機関との連携を通じて、労働者の権利擁護活動を継続していく。