有給休暇の「前借り」分の返還を求められた事案で、出張日当と給与計算の差額が支払われた事例
- 2025.08.01
- 2025.08.01
| 実行日 | 2025年7月 |
|---|---|
| 組合員 | Dさん |
| 年齢 | 30代 |
| 地域 | 大阪府 |
| 職種 | 技術職 |
| 雇用形態 | 正社員(雇用期間の定めあり) |
| トラブル種別 | 有給休暇の前借り分の返還要求、出張日当の不支給、退職月の給与計算 |
1.相談に至るまでの経緯
組合員のDさんは、未経験から技術職として採用され、雇用期間の定めのある正社員として勤務していました。
入社時には「新人を育てる体制がある」と聞いていましたが、実際には教育の計画は示されず、「まだできないのか」といった言葉を受け続けるうちに、適応障害と診断されました。Dさんは、会社と直接やり取りせずに退職したいと考え、当組合へ相談しました。
雇用期間の定めがある契約であったため、当組合はDさんの退職の意思を伝える際に、Dさんの了解を得て診断書も会社に示しました。会社はその日のうちに回答書を返し、退職日は通知した日で確定しました。
一方で、会社では入社6か月までの有給休暇の「前借り」の制度があり、Dさんが申し込んでいないのに、休んだ日が自動的に前借りとして扱われていました。また、Dさんが上司の許可を得て別の事業所で約1か月研修を受けた期間の出張日当も、支払われていませんでした。
会社が主張した内容は、次のとおりです。
1.前借りした有給休暇分の給与は払いすぎであり、約11万円を全額返すこと
2.別の事業所での研修は本人の判断であり、出張日当は支払わない
3.会社カードの私的な利用分は、最後の給与から差し引く
4.社内で会社の信用を損なう言動があった
2.本件の法的な問題点
(1)入社6か月前の有給休暇の「前借り」は、制度の内容と本人の合意によって扱いが変わる
労働基準法第39条第1項では、入社から6か月間継続して勤務し、全労働日の8割以上出勤した労働者に、10日の年次有給休暇を与えることが定められています。
会社によっては、6か月を待たずに有給休暇を前倒しで与えたり、将来の有給休暇を先に使う「前借り」の制度を設けたりしています。前借りの扱いや退職時の精算の方法は、一般に、会社の制度の内容と本人がどのように合意していたかによって決まります。
(2)賃金から一方的に差し引くことは、原則として認められない
労働基準法第24条第1項は、賃金を全額支払うことを原則としています。会社が返してほしい金銭があると考えていても、一方的に給与から差し引くことは原則として認められません。
ただし、労働者が自由な意思にもとづいて同意したと認めるに足りる合理的な理由がある場合には、差し引くことも認められるとした最高裁判所の判例があります。
(3)退職月の給与の日割り計算は、就業規則や賃金規程によって決まる
賃金の計算方法は、就業規則に必ず記載しなければならない事項です(労働基準法第89条第2号)。退職月の給与を日割りにする場合に、その月の所定労働日数で割るのか、月の平均の日数で割るのかは、会社ごとに異なります。
どの日数を基準にするかによって、支払われる額や返金を求められる額が変わります。
3.労働組合による会社への対応
当組合は、労働組合法第6条に基づき、組合員のために会社へ通知および団体交渉の申入れを行いました。
会社に対して、実際に次の事項を団体交渉で求めました。
1.出張日当を支払わないとする理由と根拠を示すこと
2.前借りについて、Dさん本人の申込みや合意があったのか、退職時の精算の方法がどのように定められているのかを示すこと
3.最後の給与から差し引く金額と、その計算の根拠を書面で示すこと
4.Dさんの心身の状態を踏まえ、早期の解決に向けて協議すること
当組合が出張日当について説明を求めると、会社は弁護士を立てて回答してきました。会社側は、研修は本人の判断であり、前借りは本人も理解して希望したものだと主張し、会社としての解決案を示しました。会社が出張日当に当たる額と立替の経費を支払い、Dさんが前借り分と会社カードの私的な利用分を返し、差し引きした額を最後の給与で精算する、という内容です。
Dさんは前借り分の減額や免除も求めましたが、会社はそれには応じませんでした。当組合は会社の回答をそのままDさんにお伝えし、どうするかはDさんご本人が決めました。Dさんは、これ以上争って心身をすり減らすより早く終わらせることを選び、会社の解決案に応じました。
その後、最後の給与が振り込まれると、支払うときは所定労働日数(22日)で日割りにする一方、前借り分の返還額は月の平均(20日)で1日の単価を計算しており、基準が異なっていました。Dさんが納得できなかったため、当組合はDさんの意向を受け、支払うときの計算も返還額の計算と同じ20日に揃えるよう、団体交渉の申入れとして書面で求めました。
4.結果および成果
団体交渉を経て、次のとおりとなりました。
1.会社が出張日当に当たる約3万円を支払った
2.会社は、未払いはないという立場を取りながらも、早期解決のためとして日割りの基準を揃える提案を受け入れ、差額の約1万4千円を賃金として追加で支払った
3.前借り分の返還は、Dさんご本人の判断で応じた
4.離職票が届き、立替の経費も精算された
最後は、会社側の弁護士が作成した合意書の内容をDさんご本人が確かめて署名し、差額の入金も確認して、退職の手続は約2か月で終わりました。会社側との連絡は当組合が窓口となり、Dさんが会社や会社側の弁護士と直接話すことはありませんでした。
なお、本件は当組合と会社(会社側の弁護士を含む)との話し合いを経て、Dさんと会社が合意して解決した事例であり、前借り分を返す義務の有無について裁判所が判断したものではありません。
5.組合としての総括
本件では、すべての求めが受け入れられたわけではありません。前借り分は、Dさんが自分で考えて返すことを選びました。
それでも、会社が支払わないとしていた出張日当は支払われ、日割り計算の基準も揃えられて差額が支払われました。会社に弁護士が付いた場合でも、会社に言い分を伝え、根拠の説明を求めることをあきらめる必要はありません。
本件で重要だったのは、返すべきものと支払われるべきものを分けて一つずつ確かめ、どこまで求め、どこで終わらせるかを、Dさんご本人が納得して決めたことです。
当組合は今後も、雇用関係に関する退職日、賃金の支払い、有給休暇の扱い等について、使用者に処分可能な事項の範囲内で、労働組合法に基づく団体交渉を通じて組合員の権利を守ってまいります。
6.本件で問題となり得た主な法令・参考判例
労働基準法第39条第1項
使用者は、入社から6か月間継続して勤務し、全労働日の8割以上出勤した労働者に、10日の年次有給休暇を与えなければなりません。
本件では、入社6か月前の有給休暇の「前借り」の扱いを考える上で関係しました。
参考リンク:e-Gov法令検索「労働基準法」
労働基準法第24条第1項
賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならないと定めています。
本件では、前借り分や会社カードの利用分を最後の給与で精算する扱いについて関係しました。
参考リンク:e-Gov法令検索「労働基準法」
労働基準法第89条
常時10人以上の労働者を使用する使用者は、賃金の決定・計算の方法などを就業規則に定めなければなりません。
本件では、退職月の給与の日割り計算の基準について関係しました。
参考リンク:e-Gov法令検索「労働基準法」
民法第628条
雇用期間を定めた場合でも、やむを得ない事由があるときは、各当事者は直ちに契約の解除をすることができます。
本件では、Dさんが雇用期間の定めのある契約で勤務しており、診断書を会社に示したうえで退職したことに関係しました。
参考リンク:e-Gov法令検索「民法」
労働組合法第6条
労働組合の代表者または労働組合から委任を受けた者は、労働組合または組合員のために、使用者と交渉する権限を有します。
当組合は同条に基づき、Dさんの退職、出張日当、前借りの精算および最後の給与の計算について、会社へ通知し、団体交渉を行いました。
参考リンク:e-Gov法令検索「労働組合法」
参考判例
日新製鋼事件
最高裁判所第二小法廷・平成2年11月26日判決
賃金からの差し引き(相殺)について、労働者が自由な意思にもとづいて同意したと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する場合には、賃金全額払いの原則に反しないとした判例です。最後の給与から金銭を差し引く扱いを検討する上で参考となります。
参考リンク:厚生労働省「確かめよう労働条件」賃金と他の債権の相殺
※本事例は、個人および会社を特定できないよう、一部を匿名化・一般化しています。
※記載した法令は、会社の具体的な対応によって問題となり得る法令であり、本件において法令違反が確定したことを意味するものではありません。
※法的評価は、雇用契約の内容、会社の対応、証拠その他の個別事情によって異なります。

