退職後に採用費用を請求されたケースで、会社が請求を撤回した事例
- 2025.10.09
- 2025.10.22
| 実行日 | 2025年10月 |
|---|---|
| 組合員 | Bさん |
| 年齢 | 40代 |
| 地域 | 東京都 |
| 職種 | 介護職 |
| 雇用形態 | 正社員 |
| トラブル種別 | 退職後の採用費用請求・損害負担 |
1.相談に至るまでの経緯
Bさんは会社を退職した後、会社から「入社に際して発生した費用」を支払うよう求められました。
会社が請求の根拠として示していたのは、外部の求人広告サービスを利用した際の請求書でした。会社は、この求人広告サービスにかかった費用を、Bさん個人が負担すべきであるかのように説明していました。
突然の請求を受けたBさんは、「本当に自分が支払わなければならないのではないか」と強い不安を感じていました。
そこで、会社から請求されている費用の内容や支払義務の有無を確認するため、当組合へ相談しました。
2.本件の法的な問題点
(1)会社宛ての請求書だけでは、労働者の支払義務は確定しない
求人広告サービスの利用契約は会社が締結しており、その請求書も会社に対して発行されたものでした。
そのため、会社が求人広告サービスへ支払った費用について、請求書が存在するという事実だけで、Bさん個人の支払義務が当然に生じるわけではありません。
会社がBさんに費用の負担を求めるのであれば、労働契約その他の契約内容を含め、どのような法的・契約上の根拠に基づく請求であるかを確認する必要があります。
(2)退職したことだけで損害賠償責任が確定するわけではない
会社が採用費用を「退職によって生じた損害」として請求する場合、民法第415条の債務不履行責任や、第709条の不法行為責任などが問題となる可能性があります。
もっとも、損害賠償請求が認められるためには、契約上の義務違反や故意・過失、実際に生じた損害、その行為と損害との因果関係などを、個別の事情に応じて確認しなければなりません。単に労働者が退職したという理由だけで、採用費用全額の賠償責任が直ちに確定するものではありません。
本件では、早期退職に伴う返金処理について、求人サービスの運営側と会社との間ですでに精算が行われていました。そのため、会社がBさんに請求する金額や損害の内容についても、具体的な確認が必要な状況でした。
(3)退職に伴う費用負担は労働基準法第16条との関係が問題となる
労働基準法第16条は、労働契約の不履行について、あらかじめ違約金を定めたり、損害賠償額を予定したりする契約を禁止しています。
例えば、「一定期間内に退職した場合は○万円を支払う」など、退職を理由として事前に一定額を負担させる定めがある場合には、同条との関係で問題となる可能性があります。
ただし、同条は、労働者の責任によって現実に発生した損害について、会社が具体的な事実に基づいて賠償を請求することまで一律に禁止する規定ではありません。請求の可否は、契約内容や損害の発生状況などを踏まえて判断する必要があります。
(4)賃金から一方的に控除された場合は別の問題が生じる
本件では、会社が実際にBさんの賃金から採用費用を控除した事実は記載されていません。
もっとも、会社が採用費用や損害賠償金などの名目で、最終給与等から一方的に差し引いた場合には、賃金の全額払いを定める労働基準法第24条との関係が問題となる可能性があります。
厚生労働省も、損害賠償責任が生じる可能性のある場合であっても、それだけで賃金からの一方的な控除が認められるわけではないと説明しています。
3.労働組合による会社への対応
当組合は、労働組合法第6条に基づき、組合員のために会社へ通知および団体交渉の申入れを行いました。
具体的には、会社が請求の根拠としていた請求書や費目を確認した上で、次の事項を申し入れました。
- 請求されている費用が、会社による求人広告サービスの利用に伴って発生した費用であることを確認すること
- Bさん個人に費用の負担を求める法的・契約上の根拠を明らかにすること
- 採用費用とBさんの退職との因果関係や、損害賠償請求が成立するとする具体的な理由を説明すること
- 退職を理由とした費用負担について、労働基準法第16条との関係が問題となり得ることを指摘すること
- Bさんへの直接請求や、賃金等からの一方的な控除を行わないこと
当組合は、会社の採用活動に伴う費用であることや、求人サービス運営側との精算状況を踏まえ、会社から提示された資料の範囲では、Bさん個人に費用負担を求める具体的な契約上または事実上の根拠が確認できないとの組合員側の認識を伝えました。
そのうえで、会社が請求を維持する場合には、契約上の根拠、損害の内容、金額の内訳およびBさんの退職との関係を説明するよう求めました。
4.結果および成果
当組合の申入れを受け、会社はBさんに対する採用費用の請求を撤回しました。
これにより、会社から求められていた費用の請求は白紙となり、Bさんが本件費用を支払う必要がない状態となったことを確認できました。
突然の請求を受け、「自分に支払義務があるのではないか」と不安を抱えていたBさんにとって、会社による請求撤回が確認できたことで、精神的な負担も大幅に軽減されました。
本件では、会社が提示した請求書の内容や契約関係、求人サービス運営側との精算状況を確認した上で、請求根拠について団体交渉を行ったことが、請求撤回につながりました。
5.組合としての総括
退職後に会社から金銭を請求されると、多くの労働者は「会社が請求書を示している以上、支払わなければならないのではないか」と不安を感じます。
しかし、会社に費用が発生していることと、その費用を退職した労働者が負担することは別の問題です。会社から請求を受けた場合には、費用の内容、契約の当事者、請求の根拠、実際に発生した損害や精算状況などを確認する必要があります。
また、労働基準法第16条は、現実に発生した損害についての請求をすべて禁止するものではありません。そのため、「採用費用だから絶対に支払わなくてよい」「会社からの請求はすべて無効である」と一律に判断するのではなく、個別の事情に基づいた整理が重要です。
本件では、当組合が請求書や費目を確認し、会社に対してBさん個人へ請求する根拠の説明を求めました。その結果、会社による請求撤回を確認し、Bさんが会社と直接やり取りする負担を軽減することができました。
当組合は今後も、退職に伴う費用請求、損害負担、賃金控除等の雇用関係上の問題について、使用者に処分可能な事項の範囲内で、労働組合法に基づく団体交渉を通じて組合員の権利を守ってまいります。
当組合は、Bさんの法的な支払義務の有無または会社の請求の法的有効性を確定したものではなく、訴訟、示談、和解その他の法律事務を代理したものでもありません。
本件では、会社自身がBさんへ行っていた雇用関係上の費用請求について、使用者に処分可能な事項として、説明と請求方針の再検討を団体交渉で求めました。
6.本件で問題となり得た主な法令・参考判例
労働基準法
第16条(賠償予定の禁止)
労働契約の不履行について、あらかじめ違約金を定めたり、損害賠償額を予定したりする契約を禁止しています。ただし、現実に発生した損害について、具体的な事実に基づく請求を行うことまで一律に禁止する規定ではありません。
参考リンク:労働基準法(e-Gov法令検索)
参考リンク:賠償予定の禁止(和歌山労働局)
第24条(賃金の支払)
賃金は、原則として、その全額を労働者へ支払わなければなりません。会社が損害賠償金などを賃金から一方的に控除する場合には、同条との関係が問題となる可能性があります。
参考リンク:労働基準法(e-Gov法令検索)
民法
第415条(債務不履行による損害賠償)
契約上の義務が履行されなかった場合の損害賠償について定めています。会社が退職に伴う損害を主張する場合でも、契約上の義務違反や損害、因果関係などを個別に確認する必要があります。
第709条(不法行為による損害賠償)
故意または過失によって他人の権利や法律上保護される利益を侵害した場合の損害賠償について定めています。退職したという事実だけで、当然に同条に基づく責任が生じるものではありません。
参考リンク:民法(e-Gov法令検索)
労働組合法
第6条(交渉権限)
労働組合の代表者や委任を受けた者が、組合員の労働条件その他の労働関係上の問題について、使用者と交渉する権限を定めています。本件では、退職後に残された雇用関係上の費用請求について、会社への申入れと団体交渉を行う根拠となりました。
参考リンク:労働組合法(e-Gov法令検索)
参考判例・公表事例
厚生労働省「不良品を出すごとに賠償金を賃金控除することは、労基法上許されますか?」
公表機関:厚生労働省
労働基準法第16条が禁止する賠償額の予定と、現実に発生した損害に関する請求との違いを説明しています。また、損害賠償責任が問題となる場合であっても、会社が賃金から一方的に控除できるとは限らないことを示しています。
公式資料:厚生労働省「確かめよう労働条件」
※本事例は、個人および会社を特定できないよう、一部を匿名化・一般化しています。
※記載した法令は、会社の具体的な対応によって問題となり得る法令であり、本件において法令違反が確定したことを意味するものではありません。
※法的評価は、雇用契約の内容、会社の対応、証拠その他の個別事情によって異なります。

